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2009年10月 アーカイブ

2009年10月20日

熊野本宮大社例大祭

一年の豊穣を願う祭り
熊野本宮大社の例大祭は、一年の豊穣を願う祭りであると解される。

例大祭の中心である御田祭は、熊野牟須美神の神霊が移された神輿が、大社 - 真奈井社(末社) - 大斎原(本宮大社旧社地) - 本社と渡御するという構造を備えており、その都度、稚児に神霊を降臨せしめる神事(八撥神事、後述)を行う。神輿が最初に渡御する真奈井社は、天照大神と素戔男尊が誓約をした場所であると伝えられ(『古事記』『日本書紀』)るだけでなく、熊野牟須美神の神名にある「牟須美」すなわち「結」(ムスビ)が産霊を意味することから、真奈井社は産出力に関わる呪力の源とされる。こうした産出力に関する呪力が顕現する場が大斎原であり、実りの予兆である花が重要な役割を持つことや、予祝儀礼としての意味を持つ田植舞が演じられることもこうした大斎原のもつ呪術的な意義から理解される。本宮の主祭神で素戔男尊に擬される家津御子大神(けつみみこおおかみ)もまた、その名にあるケツミが「食つ霊」と見られることから、五穀の収穫を支配する農業神としての性格を持っており、那智や新宮の例大祭と同じく、本宮の例大祭もまた農業神事としての性格付けられるのである。

祭礼次第
例大祭は4月13日から3日間に渡り、4月13日に湯登神事、14日に航海の安全と大漁を祈念する船玉大祭(ふなたまたいさい)、15日には御田祭が執行される。

大日越え
大日越え(だいにちごえ)は、影向道(えこうみち)とも呼ばれ、熊野川と湯ノ峯温泉のある四村川河谷との分水嶺の丘陵、大日山(369メートル)を越えて、湯ノ峯と大斎原を結ぶ道である。大日山の山裾をまわる道が周辺一帯の住人の日常の生活道になったため、もっぱら神官や山伏が通行する道であった。峠(304メートル)付近には、左甚五郎伝説にちなむ鼻欠地蔵や興国三年の銘のある名号板碑があるほか、峠から下った北側の中腹には、月見岡神社の石祠と隣り合って大日堂があり、阿弥陀如来と推定される丸彫り石仏が祀られている。

大日越えの開創は遅くとも平安時代にさかのぼると見られ、本宮への参拝の前後に湯ノ峯を訪れる風習は、中世の参詣記に既に見られる。藤原宗忠が『中右記』天仁2年(1109年)11月1日条で、川の冷たい水と湯が混じり合って程よい様を神験と称えたほか、『長秋記』長承3年(1134年)2月1日条には、鳥羽院が新宮・那智を巡拝する間、本宮に留まっていた待賢門院が湯ノ峯を訪れようとしたが、鳥羽院が帰参したため中止したとあり、藤原頼資も『頼資卿記』承元4年(1210年)10月8日条には「不異驪山之温泉」と賞賛している。しかし、湯ノ峯が熊野詣の湯垢離の場となるのは、南北朝時代以降の新しい風潮であり、平安時代末から鎌倉時代にかけての湯ノ峯は参詣儀礼の場ではなかった。室町時代の頃には、本宮についてすぐに湯ノ峯に越えることも行われたと見え、足利義満の側室北野殿の一行の参詣記『熊野詣日記』応永34年(1427年)9月28日条は、奉幣の後、ただちに湯ノ峯に向かったと記している。

大日越えは全ルートが国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定、2002年〈平成14年〉12月19日追加指定)の一部、および、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産である。

『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

熊野本宮大社例大祭はとっても歴史あるお祭りなんですね。

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